
政府が、デジタル教科書を正式な教科書として扱う法改正案を決定したという。これまで「代替教材」とされてきたものが、紙と同じ位置づけになる。2030年度から本格導入を目指すらしい。
ここまでの流れ自体は、正直なところ違和感はない。GIGAスクール構想で一人一台の端末が整備された以上、「教科書もデジタルに」という議論になるのは自然だと思う。
ただ、それでも少し引っかかる。内容そのものというより、進め方のスピードだ。
もう少し、立ち止まってもいいのではないか。
というのも、海外の動きを見ていると、必ずしも同じ方向に進んでいるようには見えないからだ。
海外では「見直し」の動きが出ている
たとえばフィンランド。デジタル教育の先進国としてよく名前が挙がる国だが、ここ数年で少し風向きが変わってきている。
PISAの順位低下が話題になったこともあり、教育のあり方そのものを見直す動きが出ている。その中で、デジタル化の影響も一因ではないか、という指摘がされているようだ。
もちろん、学力低下の原因が一つに絞れるわけではない。ただ、現場の対応を見る限り、デジタル化と無関係とも言い切れない。
実際、デジタル中心だった授業から紙へ戻す動きも出ていると聞く。特に英語や数学のように、基礎を積み上げる教科でその傾向が強いらしい。
生徒の声としても、「紙の方が全体が見やすい」「どこを読めばいいか分かりやすい」といった意見があるという。
このあたりは単なる好みとも言えるが、少し気になるのは別の点だ。
デジタル利用が増えた時期に、集中力の低下や、イライラしやすくなるといった変化が指摘されていた、という話もある。
これがどこまで一般化できるのかは分からない。ただ、「慣れの問題」で片づけてしまうのも、少し乱暴な気がする。
シンガポールが小学生への端末配布を見送ったり、韓国でも慎重な意見が出ていることを考えると、少なくとも各国が手放しで進めているわけではなさそうだ。
むしろ、一度立ち止まっているようにも見える。
日本の議論は少し急ぎすぎていないか
そう考えると、日本の議論は少し急ぎすぎていないか、という印象を受ける。
もちろん、デジタルのメリットは分かりやすい。内容の更新がしやすいし、動画や音声も使える。文字の拡大などの支援機能もある。ランドセルが軽くなるという現実的な利点もある。
ただ、これらはどちらかというと「便利さ」の話だ。
それがそのまま「理解しやすさ」や「学習の質」につながるかというと、そこはもう少し慎重に見た方がいいのではないかと思う。
制度のポイントは「併用」にある
今回の制度では、紙だけ、デジタルだけ、あるいは併用も選べるとされている。この点は柔軟でいい。
ただ、実際に現場でどうなるかは別の話だ。
制度上は選べても、コストや運用の都合で、どちらかに偏る可能性は十分ある。例えば、片方だけ無償であれば、実質的には選択肢は限られてしまう。
逆に両方無償にすれば理想的だが、その分の負担をどうするのかという問題も出てくる。
結局のところ、この制度のポイントは「デジタルを認めるかどうか」ではなく、「どう組み合わせるか」にあるのだと思う。
現実的な使い分けは見えている
個人的には、ある程度の方向性は見えている気がする。
学校では紙、自宅ではデジタル。
シンプルだが、この分け方は意外と理にかなっている。
学校では、紙を使ってじっくり読む、書く、考える。全体を見渡しやすいという点でも、紙にはまだ強みがある。
一方で、自宅ではデジタルの方が使い勝手がいい。検索もできるし、動画も見られる。復習や補助教材としてはむしろ適している。
この形であれば、ランドセルの重さの問題もある程度は解消できる。
紙かデジタルか、どちらかを選ぶというより、それぞれの得意な場面で使い分ける方が現実的ではないか。
課題はインフラと運用にある
それと同じくらい重要なのが、インフラと運用の問題だ。
端末の性能や更新、通信環境、地域差、教員の負担。こうした部分が整っていなければ、制度だけ整えてもうまく回らない。
それに、「選択できる」と言われていても、現場の空気としてデジタルが前提になる、ということもあり得る。その影響は小さくないはずだ。
結論:バランスを前提に設計するべきではないか
デジタル教科書の導入自体に反対するつもりはない。
ただ、海外で試行錯誤が続いている状況を見ると、もう少し時間をかけてもいいのではないか、と感じる。
教育は、新しい技術を早く取り入れることが目的ではないはずだ。
子どもがちゃんと理解できるか、集中できるか。その視点から考える必要がある。
結局は、紙かデジタルかではなく、その組み合わせ方の問題なのだと思う。
結論:学校では紙、自宅ではデジタル。
少なくとも今の段階では、このくらいのバランスが、無理のない落としどころではないだろうか。

