不同意性交罪──性別中立の法律は本当に中立か

目次
- 法律上は性別を問わない
- 社会の現場は“非対称”
- 「守る法」が生む新たな力の偏り
- 「自由な同意」とは何か
- 同意アプリと「キロク」炎上の教訓
- 同意を“証明”するという矛盾
- 可視化よりも必要なのは「文化の成熟」
- 結論:法と社会の成熟が問われている
2023年の刑法改正で新設された「不同意性交罪」。従来の「強制性交等罪」と異なり、暴行や脅迫といった明確な強制がなくても、相手の自由な意思に反して行われた性的行為を処罰できるようになった。これは、被害者が抵抗できなかったケースを救済するための重要な改正であり、#MeToo 以降の国際的潮流に沿ったものでもある。一方で、「どこまでが同意で、どこからが不同意なのか」という線引きは、今なお社会的議論を呼んでいる。
法律上は性別を問わない
改正刑法177条では、「人に対して暴行、脅迫その他の手段により、その意思に反して性交した者」と規定されている。つまり、被害者・加害者いずれの性別も問わない。男性が被害者で女性が加害者となるケースも理論上は成立する。この点で、不同意性交罪は「性別中立の法律」とされている。
社会の現場は“非対称”
しかし、現実の運用は必ずしも中立とは言いがたい。警察・検察・報道・世論の多くは、依然として「被害者=女性」「加害者=男性」という構図を前提にしている。男性が被害を訴えても取り合ってもらえなかったり、性的被害を語ること自体に羞恥や偏見が伴うことも多い。結果として、男性被害は「存在しないもの」として扱われやすい構造が残っている。
「守る法」が生む新たな力の偏り
不同意性交罪は、本来「性の自己決定権」を守るための法だ。だが、法律が守る力を持つほどに、別の力の偏りが生まれるリスクもある。たとえば、同意の有無が曖昧な状況で、社会的信用や立場の差が「非対称」に作用してしまうことがある。捜査段階では「被害者の証言を尊重する」ことが重視されるが、その結果、被疑者側の弁明が軽視されるケースもあり得る。これは制度批判ではなく、法の運用が常に人の判断によって支えられている現実を示している。
「自由な同意」とは何か
不同意性交罪の核心にあるのは、「自由な意思に基づく同意」である。だが、現実の人間関係は単純ではない。
たとえば
・しつこく迫られて断り切れなかった
・相手が機嫌を損ねるのが怖くて仕方なく応じた
・寝たいのに、寝かせてもらえず折れた
こうしたケースでは、形式的な同意があっても、実質的には自由意思を奪われた状態と判断される可能性がある。一方で、「気乗りしなかったが断るほどでもなかった」という場合は、法的には同意とみなされることが多い。つまり、同意は言葉だけでなく、状況・関係性・心理的圧力を含めて総合的に判断される。
同意アプリと「キロク」炎上の教訓
海外では「同意を記録するアプリ」も登場している。デンマークの iConsent は、パートナーに同意リクエストを送り、承諾すれば24時間有効のトークンが発行される仕組みだ。一見、トラブル防止に役立ちそうだが、専門家は「同意は常に撤回可能であり、ボタン一つで記録するのは現実的でない」と指摘する。
日本でも2024年、「性的同意を可視化する」として「キロク」というサービスが登場した。弁護士監修のチェック項目を互いに確認し、QRコードで同意を記録する仕組みだったが、発表直後からSNSで批判が殺到した。「ボタンを押しただけで同意と言えるのか」「酔っていたら」「後から撤回できないのでは」などの懸念が次々に上がり、炎上した。開発者は「トラブル防止の一助として」と説明したが、同意を形式化すること自体が本質を見失わせるという指摘も多かった。この出来事は、技術で同意を担保しようとすることの限界を示している。
同意を“証明”するという矛盾
「あとから取り消せる同意アプリ」は、表向きは被害者保護に見えるが、法的には証拠として成立しづらい。一方で、「一度押したら絶対に同意」とする仕組みは、自由意思を奪いかねない。どちらも危うい。
撤回できる設計は安全だが記録にならず、固定する設計は証拠になるが人間性を損なう。このジレンマこそ、同意アプリが抱える最大のリスクだ。技術で同意を記録しようとするほど、私たちは「同意とは何か」という問いの本質に突き当たる。
結局のところ、同意は Yes/No の二択ではなく、関係の中で揺れ動く意志のプロセスである。その曖昧さをデジタルで処理しようとすること自体が、危ういのかもしれない。
可視化よりも必要なのは「文化の成熟」
技術はあくまで補助にすぎない。本当に必要なのは、互いの意思を確認する習慣、つまり「同意を対話によって確かめる文化」だ。性行為の場面に限らず、人と人との関係性全般において、相手がどう感じているかを尊重する態度が求められている。法やアプリはその後ろ盾にはなれるが、代替にはなれない。
結論:法と社会の成熟が問われている
不同意性交罪は、被害者救済の観点から極めて重要な一歩だった。だが、真に中立な法であるためには、社会のまなざしもまた中立でなければならない。
「女性を守る法律」ではなく、「すべての人の性的自己決定権を守る法律」。その理念を実現するには、
1. 性別を問わず被害を認める社会的感度
2. 同意と自由意思を尊重する文化
3. 捜査と報道の中立性
この三つが不可欠だ。
法は制度を変える。だが、社会を成熟させるのは私たち自身だ。真に公正な社会とは、法の文言だけでなく、人々の視線が平等になる社会なのかもしれない。

