2025年6月16日、最高裁は国の新型コロナ対策給付金から性風俗業を除外した政策を「合憲」と判断し、原告事業者の敗訴が確定した。
だが、この判決にはどうしても納得できない。
「大多数の国民が共有する性的道義観念」って何だ
判決理由の中で最も象徴的だったのが、「大多数の国民が共有する性的道義観念に反するから除外は合理的」という趣旨の言葉だ。
そもそも「大多数の国民が共有する性的道義観念」などというものが客観的に存在するのか。誰が、どのように確認したのか。いつ、どこで合意されたのか。
価値観は、時代、世代、地域、文化、性別によって異なる。そんな多様な社会において、「大多数の感覚」に従って制度設計を正当化するのは、単なる同調圧力の制度化でしかない。これは法治ではなく、道徳による排除の追認にすぎない。
「政策的裁量だからOK」は責任放棄にすぎない
最高裁の多数意見は「政策的裁量の範囲内であり、違憲とは言えない」と述べた。
確かに行政に裁量は必要だ。しかし、性風俗業というだけで救済の枠から外すという判断が「合理的区別」と言えるのか。それはもはや裁量ではなく、偏見の制度化に他ならない。
裁量が不当な差別に転じたとき、司法がそれを止める役割を果たすべきなのが三権分立の理念だ。今回の判決は、司法がその責任を放棄した瞬間だった。
性風俗に従事する人々も市民であり、生活者であり、納税者である
制度の対象外とされた性風俗業に従事する人々も、他の職業と同様に日々の生活を営んでいる。新型コロナの影響で打撃を受けたのは、何も飲食や観光業だけではない。
営業を止められ、収入を失いながら、それでも制度からは「あなたたちは支援の対象外」と言われた。その根拠が「道義的にふさわしくない」では、あまりにも冷酷だ。
社会的偏見を理由に制度から排除される現実を、国家が後押しする構図は、法治国家として決して正当化されるものではない。
合憲であっても、公正ではない
最高裁が「合憲」と判断したからといって、それが正義であるとは限らない。合憲性の判定と、公正さの実現は別の問題だ。
今回の判決は、技術的には成り立っていても、人間の尊厳と平等という原則からは大きく逸脱している。
制度とは、誰を救い、誰を切り捨てるかを決める。だからこそ、その判断は倫理的にも、社会的にも真摯に行われなければならない。
罷免すべき裁判官たち
今回の判決において多数意見に加わり、「性風俗業の除外は合理的」と判断した以下の4人の裁判官には、次回の国民審査で明確に「×」をつけたいと思う。
- 安浪亮介
- 岡 正晶
- 堺 徹
- 中村 愼
彼らは行政の裁量を優先し、社会的少数者の救済という司法の本来の役割を放棄した。記憶されなければならないのは、判決の結果ではなく、そこで見捨てられた人々の現実である。
反対意見を示した裁判官の勇気
この判決において、ただ一人、反対意見を述べたのが宮川美津子裁判官(裁判長)である。
宮川裁判官は、多数意見が掲げた「道義的観念」というあいまいな基準を疑問視し、性風俗業者も等しく救済の対象とされるべきだとする立場を示した。
少数者の立場に立ち、法の下の平等を真正面から見据えたこの姿勢は、司法の矜持であり、真の良心である。宮川裁判官の見解は、記録され、評価され続けるべきだ。
法律論に終わらせない
制度は、誰を対象とし、誰を対象外とするかを線引きする。今回の判決は、その線引きの是非が問われた事例だった。
合憲か否かの判断は示されたが、それが妥当だったかどうかは、今後も検証され続けるべきだ。
関連リンク
判決文(最高裁判所判例集)
性風俗業をコロナ給付金から除外は「合憲」 最高裁で事業者の敗訴確定 宮川美津子裁判長だけ「違憲」指摘(東京新聞)
コロナ給付金「性風俗を除外」は合憲 事業者の敗訴確定 最高裁(毎日新聞)