
武蔵野赤十字病院 新一番館完成記念式典に出席して
11月9日、武蔵野赤十字病院新一番館の完成記念式典に出席した。
当日は朝から冷たい雨。玄関前には紅白幕が張られ、関係者や医療従事者が次々と到着していた。
式典は院内ホールで行われ、黒崎院長、日本赤十字社の清家社長をはじめ、多くの来賓が登壇した。
13年にわたる計画の歩みと、関係者への謝意が静かに語られた。
建設計画が始動したのは2012年。
社会環境や医療体制が大きく変わる中で、何度も設計の見直しが行われた。
設計は伊藤喜三郎建築研究所、施工は大成建設。
2022年3月の地鎮祭から約2年半を経て、ついに完成を迎えた。
式辞では、「愛の病院」という創立理念が改めて掲げられた。
感染症や災害への対応、そしてすべての病室を個室化するという構想。
そこには、単なる建物の更新ではなく、“医療のあり方を更新する”という意志があった。
COVID-19で得た経験を、未来の医療体制へとつなぐ。
静かながらも、確固とした決意がにじんでいた。
建築の理念と現場の知恵
式典後に行われた建築事業経過報告では、旧本館北側に立つ新一番館の全体像が紹介された。
限られた敷地の中で、機能を止めずに建て替えるという難事業だったという。
新棟は免震構造を採用し、災害時にも機能を維持する。
災害拠点病院としての責務が、建築そのものに組み込まれている。
手術部門や救急処置室、内視鏡・放射線診断部門の配置もすべて再構成された。
医師や看護師の動線を徹底的に短縮し、患者搬送を最小限に抑える。
「効率化」は冷たさではない。合理的に命を救うための設計思想だ。
医療を止めない構造が、建築として形を持った。
また、新棟は未知の感染症にも対応できる設計となっている。
病室ごとに空調を独立させ、陰圧・陽圧の切り替えが可能。
空調の流れを遮断することで、院内感染を防ぐ。
COVID-19の経験が、単なる一過の教訓ではなく、医療構造のアップデートとして反映されていた。
救急と周産期の新体制
救命救急センターは、地域の第二次・第三次救急の受け皿として強化された。
年間1万件を超える救急搬送を受け入れる体制を整え、四つの血管造影室を備える。
脳梗塞や心筋梗塞などの急性期疾患に、即応できる構成だ。
脳卒中・心臓病等総合支援センターとして、日本医科大学や榊原記念病院との連携も視野に入る。
これまで都心部の専門病院に頼っていた症例が、地域内で完結する。
搬送時間の短縮が救命率を高める。現場の実感として、その意義は大きい。
周産期センターもまた大きく変わった。
産科病棟と新生児集中治療室(NICU)を同一フロアに配置。
医師と助産師が即座に連携できる構造になっている。
高齢出産の増加やハイリスク分娩に対応するため、帝王切開への切り替え動線も短く設計された。
命を迎える場所であり、同時に救う現場でもある――
その二つの役割を、建築と人が支えている。
見学したフロアはどこも静かだった。
機械の音も、人の声もまだない。
稼働前の緊張感の中に、確かな準備の気配があった。
今日の静けさが、やがて日常の喧騒へと変わる。
そのときを思うと、空気が少しだけ張り詰めた。
市の判断と公共投資の意義
この新一番館の建設には、武蔵野市からも7億8千万円の支出がある。
もちろん議会の議決を経た正式な予算措置だ。
当時は「今やるべきか」「コロナが落ち着いてからでもいいのでは」という声もあった。
財政の見通しが不透明で、市民の理解を得るのも容易ではなかった。
それでも事業は進んだ。
やるべきことはやる――その決断を下したのは当時の市長、松下玲子。
短期的な批判を恐れず、長期的な医療体制を見据えた。
結果としてその判断が、いま確実に地域の医療基盤として形を持った。
政治の役割とは、こうした“見えない時期に踏み出す力”だと思う。
地域医療のこれから
武蔵野赤十字病院は、武蔵野市民のためだけの病院ではない。
この地域全体の医療を支える中核として、周辺からも多くの患者が訪れる。
救急医療、周産期医療、災害医療――どれも市単独では担えない領域だ。
その拠点が日常の延長線上にあること。
それだけで、このまちの暮らしは静かに支えられている。
ただ、地域全体を見れば課題も残る。
三次救急を担う赤十字病院に対し、二次救急を担う体制は十分ではない。
小児科や産科といった次世代を支える分野でも、受け皿の整備が追いついていない。
ハイレベルな医療を磨くだけではなく、日常の延長線にある医療――
“ふだんの医療”の層を厚くしていくことが、次の課題になる。
武蔵野赤十字病院の新一番館は、その出発点のひとつだ。
地域の安心を支える拠点が、いま静かに姿を現した。
この建物をどう生かすか。
それは、これからの行政と地域の力にかかっている。

