司法が終わらせた「違法土地取引」という物語
最高裁が確定させた事実
吉祥寺駅前駐輪場をめぐる住民訴訟は、最高裁で元市長側の上告が棄却され、市側の勝訴が確定した。
東京地裁、東京高裁、最高裁の三審すべてが、市の土地取引は違法でも不当でもないと判断した。
市が算定した価格で土地を売却し、新たな駐輪場を確保したことに、裁量権の逸脱や乱用はない。
市に損害は発生していない。
この評価が司法の最終結論になった。
「不当に安く売った」という神話の崩壊
この裁判は、「市が土地を不当に安く売り、市民の財産に損害を与えた」という主張から始まった。
だが法廷でその物語は成立しなかった。
価格の算定には合理性があり、取引の結果として市には駐輪場という実体のある利益が残った。
最高裁まで争っても結論は変わらなかった。
つまり「不正な土地取引」という前提そのものが否定された。
「武蔵野市民の財産を守る会」という前提装置
この訴訟と並行して活動していたのが、「武蔵野市民の財産を守る会」と名乗る団体だった。
この名称には、すでに一つの結論が埋め込まれている。
誰かが市民の財産を奪っており、それに対抗しているという物語だ。
しかし、司法が示した結論は正反対だった。
争点は財産が奪われたかどうかではなく、取引が法の枠内かどうかだった。
その問いに対し、司法は適法と答えた。
政治と結びついた運動
この運動は、匿名の市民が自然発生的に集まったものではない。
原告の中心は元武蔵野市長の土屋正忠氏であり、「武蔵野市民の財産を守る会」の会長は、土屋氏の後継として市長選に立候補した田中節男氏だった。
さらに当時、市議会議員だった小美濃安弘氏(現武蔵野市長)、衆議院議員候補だった福田かおる氏、市議会議員の小林まさよし氏らが、この訴訟と「違法な土地取引」という主張に強くコミットし、街頭やネットでの発信を行っていた。
人物関係と政治的経歴を並べると、この運動が特定の政治的系譜の中で展開されていたことが浮かび上がる。
司法に影響しない周知活動の意味
どれほど周知活動を行っても、裁判の結果は変わらない。
裁判官が見るのは証拠と法律だけであり、ポスターもビラもSNSも判決には影響しない。
それでも「違法」「不当」「市民の財産を奪った」と断定的な言葉が大量にばらまかれた。
この行為は、裁判のためではなく、社会的評価を操作するためのものとして機能していた。
寄付というもう一つの現実
この運動では、約300万円近い寄付が集められていた。
それらの寄付は、「違法な土地取引によって市民の財産が奪われている」という前提のもとで呼びかけられていた。
だが、その前提は最高裁まで行って否定された。
市に損害はなく、取引は適法だった。
結果として、寄付をした人々は、法的には存在しなかった被害を前提とする物語に対して金銭を拠出していたことになる。
少なくとも、この点について寄付者に対する説明責任は免れない。
返還という選択肢が議論されるのは自然な状況になっている。

筋としての説明責任
法的な義務がどうであれ、筋としてどうかという問題は残る。
被害が存在しないと確定した案件について、その被害を前提に集めた金をどう扱うのか。
事実関係の変化を寄付者に伝え、判断材料を示すことは最低限の責務になる。
これは責任の所在を問う話ではなく、誠実さの問題だ。
政治運動であれ市民運動であれ、事実が覆った後にどう振る舞うかで、その運動の本当の価値が決まる。
結論:透明性のない正義は存在しない
最高裁で市の正当性が確定した今、「違法な土地取引があった」という前提は崩壊している。
それでもその物語の上に築かれた運動だけが、後に残った。
住民訴訟という市民の武器を、行政監視ではなく個人の名誉を削るために使うやり方は、卑怯としか言いようがない。
彼らのスローガン「法と秩序とむさしの愛!」が虚しく響く。
関連リンク
「元武蔵野市長側上告 最高裁が棄却を決定 吉祥寺駅前駐輪場訴訟」(東京新聞・2025年12月27日)
武蔵野市・吉祥寺駅北口駐輪場売却をめぐる住民訴訟と情報発信の問題点
土屋正忠氏 公式サイト

土屋正忠元市長や小美濃安弘氏(現市長)、小林まさよし氏らが参加した街頭演説会の様子が記録されている。自民党青年局の旗も立っており、政治的な背景がよくわかる。


マスクをしているので判別が難しいが、以前都議会議員選挙に自民党公認で立候補をした土屋ゆうこ氏の姿もあるように見える。

また自民党の活動を示すのぼり旗も立っている。

