
東京の火葬場問題──23区は高額化、市部は不足。武蔵野から考える
都内で暮らしていると、火葬場のことを考える機会はあまりない。
けれど、いざというときに「近くの火葬場が空いていない」という現実に直面する人は少なくない。
23区では高額化、市部では不足。
同じ東京の中でも、死をめぐる環境には大きな差がある。
この数年の動きを見ていると、そろそろ真剣に考えなければならない時期に来ていると感じる。
東京都内で「火葬場のあり方」が改めて問われている。
23区では営利化と高額化の波が押し寄せ、公共性と採算のあいだで揺れている。
一方で市部、つまり多摩地域の26市では、そもそも火葬場が少なく、順番待ちという現実が生まれている。
現場を見ていると、必要なのはわかっていても、どうすればいいかは簡単ではない。
その難しさを、まず整理しておきたいと思う。
23区で見える課題
区部では、民間が運営する火葬場の値上げや、説明責任の不透明さが問題になっている。
葬儀や火葬は利益を生む産業でもあるが、同時に公共サービスの一端でもある。
どこまでを事業として認め、どこからを公の責任とするのか。
その線引きが曖昧なまま、現場は混乱している。
市部で進む現実
一方、市部では事情がまったく違う。
施設の数が足りない。特に東側の武蔵野、三鷹、小金井、調布、狛江、府中、稲城などでは、実質的に府中市の多磨葬祭場(日華斎場)しか使えない。
冬になると十日以上待つこともある。
私の義弟が亡くなった時は日華斎場が混んでおり、杉並の堀之内斎場にお世話になった。
幸い距離的にはほぼ同程度ではある。
武蔵野市はそうした立地に恵まれているが、同じように距離の選択肢を持たない市も少なくない。
もっとも、堀之内斎場も現在では値上げを行い、庶民にはなかなか厳しい料金水準になっている。
葬儀が終わっても火葬ができず、遺族が市外の施設まで搬送して順番を待つ。
それが日常の光景になりつつある。
距離の負担、時間の負担、そして気持ちの負担。
災害や感染症の拡大期には処理能力が追いつかず、最期を迎える場すら足りなくなる。
そんな現実を目の当たりにすると、安心して死ねる社会という言葉が、急に重く響く。
簡単な答えはない
火葬場は、どうしても迷惑施設として見られやすい。
反対の声が上がるのは当然だと思う。
しかし、将来の人口構成や災害への備えを考えると、どこかで議論を避け続けるわけにはいかない。
立地、環境、交通、景観、生活への影響。
一つひとつを丁寧に考えなければならない。
だからといって、力づくで進めるわけにもいかない。
このテーマには、どんな立場の人であっても慎重さが求められる。
武蔵野から見ておきたい論点
・既存施設の更新や増設、偏在を緩和する配置の見直し
・市単独では限界があるため、複数市による共同運営や、都の関与のあり方を考える
・災害や感染症流行期に備えた暫定的な火葬設備や、相互支援の仕組みを整える
・待機日数や料金など、利用者にとってわかりやすい情報を公開する
・交通や景観への配慮など、地域への影響をどう最小限に抑えるか検討する
・説明会や対話など、合意形成のプロセスをどの段階から始めるかを考える
どれも簡単なことではない。
けれど、誰かが声を上げなければ、何も始まらない。
火葬場は、誰かのための施設ではなく、いつか自分のための施設でもある。
必要だとわかっていても、どう向き合うべきかは簡単に決められない。
だからこそ、今のうちから考えておくことが大切だと思う。
東京の火葬場問題。
区部では高額化、市部では不足。
課題のかたちは違っても、根底にあるのは「最期の安心をどう守るか」という同じ問いだ。
武蔵野から、その問いを丁寧に投げかけていきたい。
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