ホーム表現の自由視察報告 大和ミュージック劇場 ストリップ劇場をめぐる法と現場のリアル

視察報告 大和ミュージック劇場 ストリップ劇場をめぐる法と現場のリアル

大和ミュージック劇場
大和ミュージック劇場

大和ミュージック劇場を訪れて

超党派の議員有志で大和ミュージック劇場を訪れた。
大阪・天満東洋ショー劇場が「公然わいせつ」を理由に営業停止処分を受けた。

しかし、ストリップ劇場という場所は、風営法のもとで「専ら、性的好奇心をそそるため衣服を脱いだ人の姿態を見せる興行」として正式に認められている。
そこに被害者はいない。それでも摘発は必要なのか。

実際に現場を見て考えた。

見せることの自由をめぐって

ストリップという芸能は、戦後日本の混乱期にアメリカのレビュー文化と結びつきながら誕生した。
もともとは浅草や新宿などの興行街で、「ヌードショー」や「モダンダンス」として始まり、演劇や軽演芸の一部として上演されていた。

1950年代には全国に劇場が広がり、踊り子たちは舞台装置や照明を駆使して、官能と芸術の狭間を行き来する表現を模索した。
戦後の大衆社会の欲望とともに広がったストリップは、最盛期には全国で三百館を超え、一つの街に複数の劇場があることも珍しくなかった。

競争が激化するなかで、「芸術性を守る」だけでは生き残れない。
観客動員がすべてであり、採算を取るためには過激な演出や料金の引き下げに頼るほかなかった。
やがて一部の劇場では観客参加型の演出や性的行為そのものを演出に取り入れるようになり、風営法の枠を超える営業が常態化していく。

当然ながらこうした行為は違法であり、公然わいせつ罪による摘発もしばしば行われた。
だが、罰金で済むことが多かった当時の実情では、劇場側も「数日休めば再開できる」と高を括り、名義を変えて営業を続ける例が後を絶たなかった。
摘発と再開を繰り返す――いたちごっこが業界の日常だった。

当時は、経済的に追い詰められ、不本意ながら舞台に立つ女性もいた。
地方から上京した若い女性が短期間で生活費を稼ぐために足を踏み入れるケースも多く、訓練を受けぬまま観客の視線に晒されることもあった。
華やかな舞台の裏側に、貧困や孤立といった現実が確かに存在していた。

新風営法の改正と転換点

1970年代後半から80年代にかけて、ストリップ業界は大きな転換期を迎えた。
テレビやビデオなど新しい娯楽が台頭し、かつて「街の華」と呼ばれた劇場は、次第に時代遅れの存在と見なされていった。

転機となったのが1985年の「風俗営業等の規制及び業務の適正化等に関する法律」改正である。
条文はそれまでの8条から51条に増え、営業の種類や手続きを細かく分類。
学校や図書館、病院の周囲200メートルを営業禁止区域とする制度が導入され、自治体が条例で範囲を指定できるようになった。

これにより多くの劇場が営業地を失い、摘発リスクを前提とした経営はもはや通用しなくなった。
経営者たちは「違法の継続」か「芸能としての再構築」かの岐路に立たされた。
多くの劇場が後者を選び、演出は過激さから洗練へ――舞踊・照明・音楽を融合させた「芸としてのストリップ」が生まれた。

芸能としてのストリップ

私が訪れたとき、客席には三十数名。女性客は二割に満たず、ほとんどが中高年の男性だった。
それでも場内の空気は柔らかく、舞台のリズムに合わせて自然と手拍子や拍手が起こり、穏やかな一体感が生まれていた。
沈黙ではなく、静かな共感。観る側の成熟がそこにはあった。

大和ミュージック劇場で見たショーは、確かに性的な刺激を伴っていた。
しかし同時に、磨き上げられた身体表現と光・音楽・構成が融合した、美しい舞台でもあった。
露骨な挑発ではなく、「見せること」を自覚した表現。観客もまた、その美学を理解して舞台を見つめている。

そして今では、生活のためではなく、踊り子という職業に憧れ、自らその世界を選ぶ女性たちがこの文化を支えている。
彼女たちは自らの身体で表現し、誇りをもって舞台に立ち、観客との信頼を築いている。

明朗会計と健全な距離感

入場料以外に発生する料金は、任意のデジカメ撮影とチップのみ。
撮影は希望者だけが行い、1枚500円。踊り子本人のカメラで撮影し、プリントして手渡してくれる。
短い会話を交わすこともあるが、あくまで演出の一部であり、接触サービスではない。

観客の要望でポーズを取ることもあるが、撮影した写真は個人所有が前提。
SNSへの投稿は厳禁であり、そのルールが守られているのも、文化の成熟の証だ。

チップはステージ終盤、観客が舞台へ差し出す。
金額もタイミングも自由で、義務ではない。
それは演技への敬意と感謝を示す、小さな儀礼にすぎない。

金銭の授受はすべて場内で完結し、料金体系は明確だ。
握手券や高額課金のような構造はなく、透明で誠実なエンターテインメント産業といえる。

それでも社会の理解は十分ではない。
表通りから遠ざけられ、静かに灯を守り続ける劇場たち。
互いの信頼と節度に支えられたこの文化は、今も息づいている。

改修も移転も難しい現実

全国に残るストリップ劇場は、いま老朽化という壁に直面している。
多くが既存不適格建築物となり、耐震補強や消防設備の更新が求められるが、
大規模改修を行えば再届出・再承認が必要となり、その際に「ストリップ劇場」としての許可が下りない例が多い。

加えて、営業禁止区域は拡大し、再建や移転もほぼ不可能。
結果として、改修もできず、建て替えも叶わず、劇場は制度のはざまで朽ちていく。
かつて歓楽街の象徴だったネオンは、静かに消えつつある。

公然わいせつ罪と風営法の境界

大阪・関西万博を目前に控えた今年、大阪・天満東洋ショー劇場が「公然わいせつ」を理由に摘発・営業停止処分を受けた。
関係者のあいだでは「浄化作戦」や「見せしめ」とも囁かれている。

しかし、この劇場は風営法に基づき正式に届出を行い、行政の監視下で運営されていた。
警察による摘発は、法の枠組みを超えた象徴的介入ではなかったか。

今日的な理解において、公然わいせつ罪の保護法益は、もはや「社会の道徳」を守ることではない。
それは、他者の性的平穏を侵さないこと、そして誰もが自らの意思で選択できる自由を守るための法である。

わいせつな行為とは何か

刑法174条はこう規定している。

公然とわいせつな行為をした者は、六箇月以下の懲役若しくは三十万円以下の罰金又は拘留若しくは科料に処する。

しかし、法律上「わいせつ」の定義はない。
昭和32年のチャタレー事件判決では「徒らに性欲を興奮または刺激し、普通人の性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反するもの」とされたが、
半世紀前の価値観に基づくこの基準は、現代では現実にそぐわない。

成人限定・有料入場・閉鎖空間で行われるストリップ興行は、「公然」とは言えず、観客の自己決定のもとに完結する。
風営法の枠内で運営される限り、刑法174条の射程には含まれない。

三者の関係と「被害なき構造」

場所を提供し、生業とする興行主。
踊りを披露し、報酬を得る踊り子。
そして対価を払い、舞台を観る観客。

この三者の関係は、単純で透明だ。
誰も搾取せず、誰も傷つかない。
成立しているのは、相互の信頼と契約に基づく、まっとうな経済行為である。

むしろストリップは、「性」や「表現」という根源的領域を社会に安全に位置づける装置だ。
公共空間での無秩序な露出を抑え、制度の内部に取り込むことで、社会の秩序と自由を両立させている。

わいせつの一言で切り捨てるには惜しい

わいせつの一言で片づけるには、あまりに多層的で、豊かな文化である。
法によって認められている文化を、外堀を埋めるようなやり方で消していくのは、健全とは言えない。
踊り子がいて、観客がいて、そのあいだに表現が生まれる限り、ストリップは社会の一部として、文化の中に生き続けるべきものではないだろうか。

関連リンク
大和ミュージック劇場
風俗営業等の規制及び業務の適正化等に関する法律

性風俗の置かれた現状についてはこちらの記事もぜひご覧ください。
給付金から排除された性風俗と「道義観念」|合憲判決に異議あり

※ 本記事の内容には、有識者の方から伺ったお話なども含まれています。私の認識や理解に誤りがありましたら、ご指摘いただけますと幸いです。

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